服を着るということ
たまには自分の好きな話する!
人生の中で、どんなときも好きでいられるのは服。ゲームとか本とか心躍る瞬間はあるけど、「常に」心動かされるのは服。
服を着る行為は自分を確認する儀式だと思う。
自分が大人になっていく、恋をしてる、意地を張ってる、そういう気持ちの変化は全部装いに現れる。
だから一年前に買った服を信じられないこともたくさんある。どういう心情でこれ買ったの?意味分かんない!みたいな。でもよくよく考えると、あーそういえば一年前はこんなことがあったからだな、とか思いながら過去の自分と対峙する。
「服が好き」っていうと、さぞ高いブランドを買いあさったりファッショニスタ御用達のブランドとか流行りを追っかけてるような風に思われそうだけど、全然違う。
すごいすごい着たい服でも、自分にはどう頑張っても不釣り合いだと思ったら、買わない。
今の会社も一応アパレルだから、ペルソナの定義のひとつとして、服好きの人とは?みたいな話を仕事でするけど、うちの会社の場合は、自分で服を選んで、着て、その服に何かしら思いを寄せている人、っていう定義にしてる。
流行りには敏感だけど、やっぱり好き・嫌いはちゃんと自分で選んではいる。最近でいうとスニーカーブーム半端ないけど、ハイテクスニーカーはあんまり好きじゃないから一足も持ってない。いつまでもCONVERSEのど定番・キャンバスオールスターしか身に着けないと思う。
自分の身の丈にあった服って必ずある。自分のスペックとかも含めて、着たい服はその瞬間の自分、そのまんま。
誰かと会うときも、何を着ようかとよく悩むけど、そのとき着たい服を着れば自然とその人にもふさわしい装いになってると思ってる。
ちょっと話がそれるけど、すごく共感した話。
装いに自由がきかない時間は自分が死んだも同然なくらい無個性。
だから制服も大嫌いだった。高校は校則が厳しくて毎日自分を殺して学校に行く、っていうくらいうんざりしてた。帰り道、大した道のりはないけど毎日制服をカスタムして帰ってた。学校にバレて、大学への推薦を取り消されても(これ未だにありえないって思うんだけど)、辞められなかった。
わたしにとって装うことはありのままの自分でいること。
今の会社のいいところは、みんなそれぞれ自分の好きな服を着て、好きな髪の色にして、好きなアクセサリーを身につけて、出勤してるところ。それをみんなが認め合ってるから素敵。ひとつの共同体だけど、ちゃんと自分を大切にしてて、ひとりひとりが光ってるからすごい素敵。
とりとめのない文章!でもスッキリした。今度は今すきなブランドとかについて書きたいなー