仕事ときどき女の子

しがない自営業です

幸せを勝ち取ることは、不幸に耐えることより勇気がいるの。

わたしを構成する芯みたいなものは、この映画から学んだ。

映画「下妻物語」

映画「下妻物語」

 

「信念を曲げるくらいなら死んだほうがマシ」というレッテルの貼られた金槌で殴ってきた、そんな強烈な映画。思春期のわたしにとっては桃子の言葉が支えだった。何度も何度も、つらくなったら思い出す。それは大人になってからも続いている。

 


 

ninatanpe.hatenablog.com

仕事に対してどこまで踏み込むか、と書いた5日後、今年始めに仕事をした案件の社長からChatWorkで連絡が。お、新しい仕事かなうはうは!と軽い気持ちで話を聞いたら、ただのテストでもコーディングでもなく、いきなりCOOのポジションをやってくれという熱烈なカードを突きつけられた。

COO。chief operating office最高執行責任者。ただのフリーランスがいきなり役員になる、という言葉に偽りはほぼ混入してない。もっと深掘りしてくと、実際のオペレーションを回してくという仕事をやってくれという意味らしい。平たく言うてみれば、会社の持ってる案件全部のディレクションをやるんだけど、ひとつずつじっくり考えてメンバーと協力して答えを出すというよりかは、案件の全体像を社長と一緒に把握したら、わたしが解釈して噛み砕いてメンバーに仕事振ってくというニュアンスらしい。小さい会社だから、社長が数十ある案件全部見て、エンジニアとかデザイナーがモノ作る以外は全部社長がボール持っちゃってるのが、案件の相手が大きくなり出して相当つらいらしい。数日一緒に仕事して、何もかもをやってる姿とSkype中何度も急ぎ案件が横入りしてるのを見てて、「これは…アカン!」と心底思った。今までディレクターいなかったのかというとそうでもない。ちゃんと居る。でも、ちょっとワケありで仕事を頼めない状況だという。(とやかく言いたくないから今は言わない。ただ後々揉めるかもしれない可能性は否めないから、そのときに話します…)

という話を聞いて、正直戸惑った。仕事はしたい。テスターやってるよりずっと楽しい。でも、頑張れるのかな、と。隠すこともなかったし、素直にこの2年の経緯とかを話したらちゃんと理解してくれて、少しずつやってくれればいいからと言ってくれた。

おまけに、わざわざうちの近くまで来てくれた。都内から数時間はかかるところ、わざわざ来るっていう、おおごとなイベントが発生した。そこでも、熱烈アプローチを受けて、「必ず幸せにしますから」とわたしのプロポーズ処女を奪う暴挙。ここまで聞いて、これはまじでおおごとだと襟を正した。正社員になるということだけでもすごいことなのに、いきなりCOOになれという。そんなぶっ飛んだシナリオは現実では普通起こらないんじゃ?話をされればされるほど悩んだ。

 


 

このオファーで一番気がかりなのが、

  • 仕事過多で2年前のような最悪のメンタルを繰り返してしまわないか
  • そう簡単に辞められない立場に豆腐メンタル人間がいていいのか
  • COOとして足りない知識を補えるか

ひとつ目はそうね、周知の通り。中間管理職を降ろされた日から、仕事をあんまり頑張ってないから、どこまで頑張れるかが未知数。でもこの会社は、全員リモートワークで仕事してるから、対人で悩むことも最小限。それに、全員17時には連絡つかなくなるみたいだから、それでいいって言われた。あとは、わたしがどこまで自分をコントロール出来るか。事情をわかってくれてるから、無理しない前提で仕事はさせてもらえるだろう。

ふたつ目は社長がいいっていってるからいいんだろうけど、本人は自信満々に、問題ないぜ!と言えないものよね。豆腐メンタルを上回るメリットを見出してくれているんだろうか。人間完璧じゃないからねえと言ってはくれたが、が…

みっつ目は頑張ればいいんじゃないか案件すぎるけど本音。Web系の知識だけじゃなくて、英語とか経済とか真剣に向き合わなきゃいけないんじゃないのかなって。早速契約書書けとか言われてるし。COOに何を求めてるのかとかも、明確にしなきゃいけないし。考え過ぎ?そんなことないよね。それくらいの覚悟を持たなきゃいけないと思う。

 


人間は幸せを前にすると急に臆病になる。
幸せを勝ち取ることは、不幸に耐えることより勇気がいるの。 

下妻物語の台詞。BABY THE STARS SHINE BRIGHTの磯部社長に新作のワンピースの刺繍を入れるという大きな仕事を任せられて、でも迷いが生まれてきて、ひとりパチンコで現実逃避してるときに、小さい頃の桃子が大人の桃子に話しかける。そのときの言葉。

幸せを掴むって、大きければ大きいほど代償も大きい。元の生活には戻れないこともあるし、未知のものへの恐れもあると思う。だから、何かを選択するって、後悔か恐怖の選択だったりすると思う。

 「才能があんのに、その才能を認めてくれる人がいるってのに何悩んでんだよ、バカ。おめえが作んなきゃ、それ着たい人どーすんだよ。ジャスコで済ますしかねーじゃん。出来るよ、お前なら」

桃子が悩んでる時にイチコが言う言葉も刺さる。 もっと純粋に、自分の意思を汲み取れたら悩まない。でも、迷いは生まれるよ。損得は考えるよ。大人だからねえ。

 


 

選択のカードが目の前に置かれたとき、桃子がわたしに語りかける。後悔と恐怖、どっちのカードに手を伸ばそうか、わたしは立ち止まる。とっくに答えは出ているのに、少しだけ悩むふりをする。後悔のカードを手に取り、ぐちゃぐちゃに丸めて捨てた。

仕事と不安とハリボテの言い訳

最近は、星野源にハマってしまったりしながらも、毎日仕事とそれ以外とうまくやっているよ。

仕事の方は、だいたい午前中やっていて、クラウドソーシングで募集してたテスター(ケース作成から実施、バグレポートなどまで)の仕事をメインにして仕事をしてる。継続して来月で3ヶ月目。もっと長い時間やってほしいと言われたこともあったけど、体調のこと考えながらの期間でもあるから、やれるときにやりますということで、華麗に濁してしまった。その代わり、ノルマ感の少ない不定期着手の仕事を入れた。あるメディアへの記事ライティングと、今月末からコーディングの仕事。数万円しか儲からないくらい期日もふわっとしてるから、1日の時間潰し的にやってます。

でも、そろそろがっちり仕事をする毎日にもしたい。でも、そのためにはハローワークで受給資格の一時停止を解除してもらわなきゃいけない。でも、そのためにはハローワークに行かなきゃいけない。でも、今の自分は電車に乗れない……でもでもでもって、結局普通の生活をしているようでしていない毎日。引きこもり時々近場の外出っていう生活を半年もしてしまっている。だから余計、1人で好きなとこ行って好きなことするっていう楽しさを忘れてしまっている。いかんいかん。どうにかしなくては!!これじゃ、大好きなスーパー銭湯に二度と行けなくなる!!

 

で、どうにかするために、パニック障害のカウンセリングを受けます。記事にしたか忘れたけど、カウンセラーの先生から、ある機関の研究で遠隔カウンセリング出来る人を募集しているという話をもらった。何それすごいおもしろそー!と思ってやることにした。しかも、研究だから無料でいいんだって。あとiPad貸してくれた。この前、そのための手続きをしてきたから、近々開始される予定。

そもそも今、何がアウトなのかというと、まず遠出をするのが怖い。あと1人で人混みに近づくのも怖い。パニック発作を起こしそうになった、満員電車の状況のようなものが再現される予感がしてくると不安になって呼吸が浅くなる。そして、1人つらそうにしてるのを周りの人にまじまじ見られたり、わたしのせいで周囲が不快な思いをするんじゃないかと考え出して不安が暴走する。性格的に、人に迷惑をかけることが病的に苦手。このように、ダメになってく悪循環の根本を断ち切れるようにしなきゃいけない。

一見何も変わってないように思えるけど、1人でチャリンコでコンビニに買物に行けるようにはなってはいる。でも、その次の一歩を踏み込めなくてだめだなぁと思う。最近はそのよくなったことをずっと平行線のままやり過ごしてしまっていてよくない。不安や恐怖は、立ち向かわなきゃ一生そのまま。ブログでも何度も言ってきた。だから、次は少し人通りのあるところにあるコンビニや本屋に行こうとしてるけど、カウンセリング受けてからにしようとか、今日は仕事があるからとか、日差しが強いとか、風強すぎてチャリンコがこげないとか、言い訳をつい考えて行動出来ない。

その言い訳はホンモノなのかというとそうでもなくて、行くのが怖いということを隠そうとする「ハリボテの言い訳」でしかない。そう、自分でも気付いているのに、毎日のように嘘の答弁を繰り返している。そんな弱気でいいんですか?一生近場のコンビニだけで生きていくつもりなんですか?Amazonで買えないものはどうするんですか?一番じゃなきゃダメなんですか?と野党のわたしが追求するごとに、心がきゅっと縮む。さっさと野党が政権を取っていただきたい、と切実に思う。

ギャグ言ってスベってる場合じゃないんですけど、週末は少し遠いところにあるファミマのチョコミントフラペチーノを買いに行きたいところです。

 

一番じゃなきゃダメですか?

一番じゃなきゃダメですか?

 

わたしを豊かにするあの人

非常に心が解放された日常を送れているわけだが、そんな日々を構成する様々な影響によって、わたしは生かされている。

まずは、豊かな生活をするための実家という名のインフラには感謝せねば。家族間の問題はさておき、毎月数万円の上納とお手伝いをすることで、生活の安全が保証される。毎月の納税と生活費に追われて、毎月27日に怯える生活をしなくていいだけで、自分にゆとりが生まれるもんだなと身をもって実感している。

他にもいろいろ心を寄せているよ。

音楽は生活を豊かにする。そんで、やっぱり、生活をないがしろにすればするほど、音楽に対してあんまり興味なくなるんだよね。通勤で毎日聴いてはいるけど、頭に残らないというか。日々充実してると、そのとき聴いてた歌も沁みてくるだなぁ。

で、最近すごい勢力でわたしの中に侵入してくるアーティストがいるの。星野源。最近、時代にもてはやされてて勢いある人じゃない。だからアマノジャクなわたしは興味ないふりをしていたんだけど、母親に、いいわよ星野源!とかいわれて何やかんや話題になるからサブミナル効果的に刷り込まれていったのよ。気付いたらアルバムを借りていたし、毎日お風呂で聴いていたし、「恋」をiTunesで買ってたし、出てる本全部メルカリで買ってた。

この前、「おげんさんといっしょ」っていうNHK星野源冠番組っていうゆるいゆるい音楽番組をやってた。おげんさんはサザエさん的な格好をしていたんだけど、これを見た瞬間からわたしのハートは即死してしまった。それくらいキュートでセクチーなおげんさんの女装がたまらなくツボだった。

それだけじゃなくて、テレビのまとめかたがすごく上手だった。TV番組をゆるくやろうとしてもだいたい内輪ネタとかに走って終わる場合がだいたいだと思ってるけど、おげんさんといっしょはそんなことなかったなぁ。おげんさんがメインで喋るところ、うたうところ、隆子(藤井隆はおげんさんの娘の設定)やおとうさん(高畑充希のかわいい刈り上げお父さん)との絡み、息子(学生服の細野晴臣)とのトークや演奏、それぞれ何を引き立たせるかがブレてないから、ゆるくやってても見ててつまらなくないし、飽きないんだろーなと思った。いろんな分野で活躍するって、並大抵のことじゃないけど、みんな本当に好きなんだろうし、そういうの伝えるのもうまくて、伝わってくると益々好きになっちゃう。そんな循環にまんまと入り込んでしまったわたしときたら。あああぁぁぁあ!!

…てなかんじで、自分でもよくわからないままに星野源が頭の中に住み始めた。明日発売のMV集も、Amazon限定ステッカーがどうしても欲しくて買ってしまった。

こんなに誰かを好きになるのって、中学~高校あたりでハマってたヴィジュアル系バンド以来で、こっ恥ずかしい気持ちが大きいんだよね。家族にも、「わたし、星野源のこと好きになっちゃったよ!」なぞと清々しく宣言できそうにない。こそこそと、未成年が夜中にAV見てるように、おげんさんのことをムッツリ・ネットリ応援するしかない。

心の安定は人生の不安定、か。

大人になってからかつてないほどの落ち着きの中で生きている。
振り返ると、わたしは常に攻めて生きてきた。卒論で最優秀賞をもらい、行きたい企業の内定を勝ち取り、やりたいプロジェクトに入った。転職して好きなECサイトの子会社に入って、MVPと昇進を勝ち取った。派遣でも、大企業の中で仕事をしていた。

なんやかんやいって、やりたいことをやれた人生だった。多分その中には、諦めたことを認めた上でやりたいことやれてると言ってる部分もあるけれど、基本的には願望は叶えてきたつもりだ。挫折のない人生だ、なんて時々思ったりもした。別に楽して勝ち取ったものとは思わない。それなりに努力をした。その努力に苦痛は伴わなかったし、楽しいと思ったことをやってたら自分のものになっていた。これからも欲しいものは手に入れながら生きていくんだろうなと、どこかで高をくくっていた。

人生の安定と心の安定は反比例する。好きなことをするには、やりたくないことにも全力で立ち向かわないといけない。人との関わりが苦手だけど会社の中で人間関係にかなり気を遣ったり、理不尽なことにもたくさん関わった。会社で仕事するんだったら普通のことかもしれないけど、社交不安障害にとっては、結構しんどいこと。双極性障害の観点でも常に自分の意思と反して、頭も心もぐちゃぐちゃになりそうな瞬間もたくさんあったし、実際ぐちゃぐちゃになっていろいろ壊れた。

その結果、心の安定を優先させることになった。わたしもそうしたほうがいいと思った。あまり深く考える余地もなく、薬をとっかえひっかえして、心の安定を保てるボーダーラインを探って、1年かけてやっと安定した。

結果、わたしはいまだかつて無いほど、落ち着いている。日々の起伏はあるけれど、世界がずっと悲しかったり、ずっとうまくいってるわけもなくなった。春に訪れる躁の衝動も今のところ起きてない。わたしの脳みそは、気分安定剤抗うつ剤によって、心に真っ直ぐな線を描き続けている。

人生がうまくいってるとき、心は起伏があって不安定だ。わたしの人生はこういうルールがあった。でもこれからは、心に起伏があってはいけないというルールに置き換わった。そういう事態になったら、改善しなくてはいけない。躁状態のあとには必ず反動で鬱になるから。

じゃあこれからは、どうやって人生楽しく生きていけばいいんだろうか。こういうこと考えたってしょうもないことはわかっているけど、毎日が落ち着いている中で何かに攻めていったところで、どこかで頑張れないポイントが出ると思う。そんなことを気にして人生をこれから送るとしたら、なんて張り合いのない人生なんだろうと考えてしまう。

心が安定すると、人生は不安定になる。最近はそう思う。人生の安定とは、もっと張り合いがあって、起伏がありながらも納得して生きていくことだ。変わり映えがなくて、常に何かのせいにして、納得のいかない人生なんて、その方がよっぽど不安定なものだ。挑戦することも出来なくて、やりたいことをやりたいとも言えない人生を送るために、心を穏やかにしたんじゃない、やりたいことを充実してやれるために、心を穏やかにしたんだ。それを早く証明したいと思う。

最近、周りの友達たちが結婚したり子供出来たりしてるのに、わたしは仕事もろくしてないし独身だしで、比べても仕方ないのに勝手につらくなる。あのとき結婚してたら、会社辞めてなければ…考えても答えは「今が最善」ということ以外にないんだけどなあ。地元に帰ってきて近所の人に結婚するだの勘違いされたり、父親に子供の顔がみたいって言われるし(節操ないよねこのおじさん)、そういうこと言われるとデリケートになる…。てかこの現象なんなんだろう。本当に無意味なんだけど!

 

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。

 

 

歪んだ家族と、結婚。

結婚ってなんなんだろう。

昔から、結婚についていいことだと思ったことがない。母親と父親を見ていたら、とてもじゃないけど結婚なんて、人生のお終い、観念どころ、自分の保身のための儀式としか思えない。

結婚するということは、絶望的な未来のカードを増やすだけだ。おまけに子供なんか持ったら、自我を忘れてしまうくらいの狂気の愛情を注がなくてはならない。子供が手を離れたら、今度は話の通じない親のめんどうを見なくてはならない。それも赤の他人の両親も対象なのだ。いつの間にか老け込み、ストレスの発散すら他人に迷惑をかけながらでないと出来ないくらいになる始末…まあだいたいこんな人生だろう。せいぜい凡人なんてこんなもんだ。

子供の頃からそれに気付いていた。両親を見ていたら自然と分かる。家庭の全権力を放棄して殻にこもる父親と、家庭と子供を支配する母親。そのいびつなパワーバランスを保とうと、いい子で居続けるしか能がない子供。どこまでいっても、永遠に何も変わらず、いびつな形を保ったまま人生が終わっていく。どこかで何かが変わるなんて、期待はしていない。せいぜい逃げ出すくらいしか出来ない。でも逃げたって、戻る場所は変わらないのだ。家族とは、心中する以外の選択肢がないのだ。少なくとも、この家族はそうだ。

 

かつて結婚すると信じていた男がいた。でも、そういう雰囲気が周りからも当人同士からもで始めたとき、思わず否定した。結婚はまだしたくない、と。その言葉の裏には、結婚をしたら今歩んでる人生を一度終わらせなければならないという不安があった。仕事を捨てて、家庭、男との人間関係、その親戚との人間関係、うちの家族と男の家族との人間関係、ライフプラン…考えれば考えるほど、全然前向きなことを考えられなかった。この男と一緒にいたいという気持ちはもちろんあったが、それを上回る重荷によってどんどん霞んでいった。結局、その男とは別れた。

別れる前に、男の家族と集まる会などに呼ばれたが、行きたくないがために朝まで仕事したり朝まで遊んだりして、言い訳を作った。男の家族とどんどん仲良くなっていくのが苦痛だった。ずっと前から、家族団欒の場に招かれて仲良くやっているつもりではいたが、実際のところはもう逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。わたしの家族と比べて、どうしようもないくらい眩しくて、キラキラしてて、笑顔で溢れてて、誰も誰のことも咎めなくて、蹴落とそうとしてなくて、何かの茶番と疑うくらい眩しい家庭だった。そんな場にいるのがずっとつらくて、自分が惨めに思えてたまらなくなった。でも誰にも相談出来なかったし、作り笑顔を顔に貼り続けていた。

みんなの望む結婚ってこういうことなのだろうか。男の家族を見ていると結婚ってこういう空間を作るために、みんな一生懸命幸せいっぱい全力で取り掛かろうとしているのか。それを拒絶しようとしてるわたしはどうしたらいい。

 

最近、友達に子供出来たとか産まれたとか、そういう話をよく聞く。本当に嬉しいことだし、お祝いもあげて盛大に祝っているのだけど、聞くたびにみんなわたしと違う価値観の中で生きていこうとしてるんだな、と感じる。わたしの知り得ない価値観の中に身を置くんだな、どんどん仲間の囲いからはみ出していこうとしてるんだな、と。それも言い換えれば、わたしの先を行かないでくれってことなのだろうか。誰がどんな生き方をしようがわたしには関係ないし、友達の人生は尊重すべきなのは頭でわかっているけど、世間の定義が脳内に刷り込まれている部分も加味して、おいて行かないでって気持ちになってるのかもしれない。

結局のところ、わたしって結婚したいの?子供ほしいの?その問いにひとつも答えがでないままだ。でも本当は、うちの家族みたいなようにはなりたくないと切に願っているだけで、理想の家庭というものを作りたいのかもしれない。でも自信がない。うちの家族しか知らないんだもん。どうすれば回避出来るのか、わかんないんだもん。子供が出来たって、あれだけ嫌だった母親と同じ行動を取るのかもしれない。育児放棄するかもしれない。それでも、結婚したいんだろうか。

わたしは母親の洗脳を受けすぎてる。この土地にいたくないとか、この人のお墓に入りたくないとか、結婚しなきゃよかったとか、子供は嫌いとか、何度も何度も子供の頃から聞かされていた。結婚したら不幸せよと、言われてきた子供はどうなるのか。自分の未来に…幸あれ!笑

 

歪んだ家族といえばバイオハザート7よね。笑

 

 

 

死の淵でとんかつ食って生き返ってきた

 ふとこのアカウントに引っ越す前やってたアカウントを覗いてみたら、2年前、とあるアパレルEC運営会社の制作部隊で中間管理職やってたときのツイートが出てきた。

あの頃はとにかく疲れていて、ろくなツイートがありゃしない。朝まで仕事だった。休みの日も仕事なう。つらい。今日も本番バグだ。今日も嫌なことがあった。人間関係に疲れた。そんな言葉ばっかりが並んでた。当時の自分は忙しさに酔っていた部分もあったと思う。でもその酔いを覚ますように、ストレスが二日酔いのごとく体に襲いかかったわけだ。

ある日突然、電源が落ちた。体が動かなくなって、朝から死ぬほど泣いた。泣きながら上司に電話して会社に行けませんと言って電話を切った。もう何もかもおしまいだと思った。積み上げてきたもの全部、なくなったと本気で思った。そう思ったらとにかく怖くて、人生終わりにしようと思った。動かない体を引きずるように動かして、目の前にあったコンセントケーブルを手に取ろうとしてふと家族の顔が頭に浮かんで、はっと我に返った。だめだ、死ねないや、と思ったら脱力した。それから夕方まで寝てたと思う。1日何も食べてないから起きたらお腹が減ってた。それで、近くのスーパーで特上のとんかつ弁当を買った。食べてたら、上手く言葉には出来ないけど、生きててよかったぁ的なことを考えた。食べるって、生きてる証だなぁとじんわりと思った。絶望しかないのは変わらなかったけど、わたしには生きるしか選択肢がないのだと思って、さっき殺した自分をとんかつで復活させた。

 

それから、中間管理職辞めさせられたり休職したり退職したり、派遣に切り替えたら半年で退職した上にストレスで地元に帰ってくる羽目になったり。踏んだり蹴ったり。この2年で人生はちゃめちゃだわ。たまに先行き不安に負けそうになる。家にいるのも嫌になる。今の仕事の幅が狭くてあの頃を思い出して虚無感に襲われることもある。それでも、わたしは生きていくしかないから、どうにかしなきゃいけない選択肢しか残されてないから、やるよ。やるしかないからさ。

先行き不安になったら念仏のように唱える言葉がある。「明けない夜はない」。どんなに絶望の中にいても、這い出してやるって自分で自分のこと信じなきゃ、何にも始まらないと思うのよ。他人が助けてくれるの待つなんて、人生他人に任せてられるほどヤワじゃない!…と思うのがミソ。あと「自分に出来ないことは自分に降りかからない」。こう考えれば、いまの状況を打破出来ると思える。運命も他人も、出来ないことを振ることないと思うし。

こうして今わたしは生きてる。27歳だったわたしは一度殺したと思ってる。意地もプライドも東京と一緒に捨ててきた。また明日も、絶望を小脇に抱えて生きなくてはならない。

 

 

親友が髪を切ってくれた。

この前、親友が家に来てくれた。

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親友は、美容師さん。地元では有名な美容院でスタイリストをやっている。彼女のInstagramはすごい数のフォロワーがついている。彼女に切ってもらいたくてお店に来るお客さんもいるらしい。

そんなすごいひと(?)が、髪を切ってくれるという。その経緯はというと、先月LINEが来て、「旅行に行ったお土産があるからあげるよ。家行くわ~」とのこと。わざわざありがたいと思って受け取ったら突然「髪どうしてんの?」と聞く。そして、「お店来れないなら家で切ってあげるよ~」という。まじ、か。女神降臨。お前、いつのまに女神になったんだ。空前絶後の感謝を捧げて、その場は解散した。

そしてつい最近。女神が家に来た。新聞紙を床に敷いて、ゴミ出しのビニール袋を首からかぶって、リーゼのミストを渡し準備万端。わざわざお店の仕事道具を持ってきて髪を切っていく。ざくざく。鎖骨くらいの長さが、短くなって、ベッキーくらいの長さになった。くしもない、ドライアーも業務用じゃないし、環境としては最悪だったんだけど、なんとかまとめてくれた。さすがプロです。

親友は、髪を切りながら、相席居酒屋でぶっとんだスペックの設定で話進めたとか、どう聞いても親友が悪いであろう客とのトラブルの話とか、元カレと10年ぶりになぜか会う話とか、下らない話をずっと喋ってた。それでずーっと笑ってた。どうすればそんなに紐が絡まるんだろう、というくらい話がめちゃくちゃなんだもん。笑ってたら、いつの間にか髪が切り終わってた。

前に家で切ってもらったのは10年前。美容の専門学校の体験入学で教えてもらったワンレンボブを、なんと、わたしで、試した。おかげでわたしの髪の毛がざっくざくで、親にお金を渡されて、親友が師匠と崇める美容師さんのお店に駆け込み直してもらった。親友の夢を壊してはいけないと、このことは師匠にも黙っててもらってたんだけど、親友がスタイリストとして活躍し始めた頃、打ち明けた。ガッハッハと大笑いしてた。そんな親友が、言うことのきかないわたしの癖っ毛をうまいこと切るなんて、まるで子供の成長を目の当たりにしたような気分だった。

お礼に何も用意できなくて、考えた末パウンドケーキを焼いた。まだ少しあたたかいパウンドケーキ。ダージリンの茶葉が入って、バターの効いた、ちょっと材料奮発したやつを。ものすごいテンションで写真を撮って、ぺろっと食べちゃう女神。午前中、ソフトクリームやらなんやら食べたって言ってなかったっけ?親友は、大食いすぎて少食のわたしと街をぶらぶらしてても、ずっと、何かを食べてる。「え、食べないの?」って聞いてくるけどわたしは「食べない…てか食べれない…」と答える。そんなやりとりをガッハッハと笑いながらやる仲。

せっかく髪を切ってもらって、大きなお返しが出来なくて悪いなあ…と思う。今度会ったら、塗装が溶けてでろーんってなったって言ってたタンブラーでも送ろうかな。…てか、どーやったらでろーんてなるんだろう…。

 ※このコップはでろーんとは関係ないよ